童話:「スイミー」より

童話は詩の朗読と同じように、感情移入して読む方法と淡々と読む方法があるという説明をしたと思いますが、ここでは童話の名作(谷川俊太郎の「スイミー」)を引用させていただき、感情移入して読む方法を紹介したいと思います。

広い海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。
みんな赤いのに、一ぴきだけは、からす貝よりもまっ黒。およぐのは、だれよりもはやかった。
名まえはスイミー。
ある日、おそろしいまぐろが、おなかをすかせて、すごいはやさでミサイルみたいにつっこんできた。
一口で、まぐろは、小さな赤い魚たちを、一ぴきのこらずのみこんだ。
にげたのはスイミーだけ。
スイミーはおよいだ、くらい海のそこを。こわかった。さびしかった。とてもかなしかった。

戯曲の練習用題材「ライオンとねずみ」にもあったように、「スイミー」も起承転結があり、またテンポのよい作品です。
こわい、寂しいという表現があり暗いイメージを持つ方もいるかもしれませんが、全体的には、明るく勇気が出るような作品だと思います。以下にある海の中の情景描写も、色とりどりで夢のような世界が広がっています。スイミーが小さな魚であることや、心の動きなどを捉えながら読んでみましょう。

けれど、海には、すばらしいものがいっぱいあった。おもしろいものを見るたびに、スイミーは、だんだん元気をとりもどした。

にじ色のゼリーのようなくらげ。
水中ブルドーザーみたいないせえび。
見たこともない魚たち。見えない糸で引っぱられている。
ドロップみたいな岩から生えている、こんぶやわかめの林。
うなぎ。顔を見るころには、しっぽをわすれているほどながい。
そして、風にゆれるもも色のやしの木みたいないそぎんちゃく。

そのとき、岩かげにスイミーは見つけた、スイミーのとそっくりの、小さな魚のきょうだいたちを。

「そのとき、岩かげにスイミーは見つけた」からの一文は、倒置法が使われています。
「スイミーは岩かげに小さな魚のきょうだいたちを見つけた」という普通の表現よりも、「スイミーは見つけた」と言い切ってしまった方が、より「何かを見つけた」事に対する感動が伝わってくるのが分かります。そして次に「小さな魚のきょうだい」と書かれており、スイミーが仲間を見つけた事が分かって感動が倍に感じられますよね。
聞き手にも気持ちを伝えたい!という思いをこめて、嬉しい気持ちを目一杯表現して読んでみましょう。

スイミーは言った。
「出てこいよ。みんなであそぼう。おもしろいものがいっぱいだよ。」
小さな赤い魚たちは、答えた。
「だめだよ。大きな魚に食べられてしまうよ。」
「だけど、いつまでもそこにじっといるわけにはいかないよ。なんとか考えなくちゃ。」
スイミーは考えた。いろいろ考えた。うんと考えた。
それから、とつぜん、スイミーはさけんだ。
「そうだ。みんないっしょにおよぐんだ。海でいちばん大きな魚のふりをして。」
スイミーは教えた。けっして、はなればなれにならないこと。みんな、もち場をまもること。
みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。
「ぼくが、目になろう。」
朝のつめたい水の中を、ひるのかがやく光の中を、みんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。

後半になってようやくセリフの部分が出てきます。セリフの部分とストーリーの部分で違いを出しながら読んでみてください。お芝居ではありませんので、思い切りよくセリフを読まなくても良いですが、なるべくセリフとその他の部分には違いをつけて読む方が聞き手に内容が伝わりやすくなります。
また、小さな魚たちとスイミーが掛け合う所がありますね。ポジティブなスイミーに対して、小さな魚たちは「だめだよ、食べられてしまうよ」と怖がりで引っ込み思案な印象を受けます。スイミーと同じ調子にならないよう気をつけて読んでみましょう。

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